評伝土倉庄三郎 - わくわくドキドキくまのあな

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評伝土倉庄三郎

評伝土倉庄三郎 土倉翁

「評伝土倉庄三郎」 
土倉祥子著
朝日テレビニュース社出版局発行(昭和41年)

本の中身

土倉庄三郎、再び読みました。
ふだん読む気楽な書物とは違って漢字が多く
斜め読みしていたら頭に何も残りません
時間をかけて書物を丁寧に読んだのはいつ以来のことでしょう。

このまま持ち主に返却して忘れてしまうのは惜しいので偉業の一部を紹介します。
退屈だけどつきあってください

一個人が行政レベルの偉業を次々に成し遂げたとは
なんという資産と徳と情熱と政治力なのか
平成の世の中に彼がいたら、間違いなく大統領になっていたことでしょう

造林家として
吉野山一帯の桜は土倉さんが私財を投じて植えました守った。
吉野山が財政難から桜を薪にして売ろうとした際、桜を売らずに済むよう、お金を用立てたとのこと。
*2016.7今西さまのご指摘を受け、加筆訂正

群馬県伊香保に造林指南
私財で奈良公園造林・台湾に植林
以下日本各地で植林


地域の篤志家として
筏運送改善のため吉野川のの川底両岸を削って広げた
建築敷地と建築費を提供して大滝に小学校建立。全児童に揃いの制服を寄贈。
土倉私立学校芳水館開校
五社峠を自費開墾
養蚕奨励、10年間桑苗を年に10万本配布
川上村~上市まで9尺幅の道をつける
五條~上市間の道路をつくる
川上村特別税の前身を提唱、実施


パトロンとして
自由民権運動を支持
中島信行(土佐海援隊の人・副総理)に出資(3000円)
新島襄に同志社大学設立金出資(5000円)
日本女子大学設立金出資(5000円)
日本立憲政党新聞出資
板垣退助外遊準備金出資(3000円)
軍事公債(26000円)
長女とみ子は原六郎と結婚(横浜正金銀行頭取、同志社女子大学設立のスポンサーとなる)
二女まさ子は内田康哉と結婚(外務大臣・国連脱退を宣言した人)
四女こいとは佐伯理一郎と結婚(同志社病院長・・そんな病院があったとは)


出資金額の円を1万倍に換算してもものすごい金額ですが
当時の一円は今の一万円よりも値打ちがあったはずです
底なしの財力でした

板垣外遊に関しては準備金3000円のほか、
彼に随行する人々の旅費と滞在費20000円も用立てているという説があります。
なぜ説かというと、エライ政治家は政治資金の出自を伏せようとするところがあるので
記録がほとんど残っていないそうなのです
「自由民権運動の台所は大和にある」といわれるからには数々の名士が大阪から日参したことでしょう
明治の当時、大阪から川上村までは二泊がかりでした

南朝崇拝勤王精神
川上村は遠い昔、南朝がこもった郷村です
川上郷には帝とともに武士も落ち着きました
土倉家はその末裔だとか
自天王忠義王の陵墓を整備したのも土倉翁の功績です


土倉庄三郎は奈良が誇る明治の偉人です

コメント

超えています。

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土倉庄三郎さんに 盛大な拍手!!

日本のかくれ偉人

もう、本は返してしまったので
書き直しも書き足しもできなくなりました

年譜だけコピーしてあります。
ここにまるごと掲載できないのが残念です

土倉翁は天保時代に生まれ
14歳のときにペリーが浦賀に来航し
激動の明治を生き抜けて大正7年に召されました

ありがとう、土倉さん。

訂正

土倉の子孫です。
吉野山の桜を「植えた」ではなく「守った」です。
明治の初期に、吉野山が財政難から桜を薪にして売ろうとした際、桜を売らずに済むよう、お金を用立てたそうです。
いずれにしても、土倉に興味を持ってくださり、ありがとうございました。

さっそく訂正しました

#今西さま
さっそく「守った」と訂正いたしました
ご指摘ありがとうございます
お身内の方の目にとまり、感激です。
「八重の桜」、「あさがきた」のドラマでも土倉翁のことを取り上げてほしかったです。
(八重の桜では寄進者芳名簿の中に名前をみつけました。それだけでした。)

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あいうえだぁ(奈良在住)

Author:あいうえだぁ(奈良在住)
経験値アップが人生の大きな柱。珍しいものがあると聞けば飛んでいきたくなり、普通の人は見過ごすようなものが気になるチャレンジャー女子です。

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